はじめに                   

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 鮎釣りのこと。NIFTYのこと。昔、もう30年以上前になるが、「NIFTY(NIFTY-Serve )」というパソコン通信サービスがあった。ホストコンピューターが東京(?)にあっ て、このサービスの利用者は、住んでいる都市に設置されているアクセスポイントと よばれる電話番号まで自宅から電話をかけて、データ通信を行なうのである。NIFTY よりも先に「PC-VAN」というのが運用されていた。ほぼ同じ方式である。1分通信 すると10円課金されるというシステムであるが、PC-VANの回線状態があまり良く なくていつも遅いということで、NIFTYの加入者がどんどん増えていったのである。

 NIFTYにはフォーラムとよばれるコミュニティーがあって、さらにいくつかの会議室 に分かれていた。じつにさまざまなフォーラムがあって、どんどん増えていった。 釣りフォーラムもその1つで、海、川を問わず、釣りが好きだという人が集まっていた。 私が参加したのは1989年の春で、当時はまだ通信機能のついたワープロを使っていた。 Windows95のパソコンが発売になる6年も前のことで、パソコンはまだMS-DOSという オペレーションシステムで動いていた。5インチのフロッピーが記憶媒体で、これを 2枚挿入してパソコンを動かすというものであった。1枚目のフロッピー(FDD)には MS-DOSのシステムと日本語変換システム、辞書ファイルなどが入っていて、2枚目の FDDにデータを保存するという使い方だった。釣りフォーラムでは釣りの話を書いたり 読んだりするのだが、よそのフォーラムでも、パソコンや通信のことが常に話題になる ので、それに対応する会議室を設けて、「電脳相談室」などと名前を付けていた。 1ヵ月早くパソコンを買って使いはじめると、フォーラムではもう大先輩気取りで、 あれこれと自分の経験を人に教えたがるのがふつうだった。今パソコンを買った ばかりの人は何を聞いても新鮮な話ばかりなので、目をギラギラさせながら真夜中 までパソコンの前に座って画面を眺めていたものである。

 さて、釣りフォーラムに参加してしばらくすると、「びわ湖の小鮎」さんという人が フォーラムに参加してきた。非常に賑やかな文面で、顔は見えないし声も聞こえない 仕組みだったのに、なぜだか目の前に派手に登場したような気がしたのだった。鮎釣り にはずいぶん経験がある人のようだなと、私はすこし引き気味で眺めていたのだが、 それからなんともいえない腐れ縁のようなつきあいがはじまったのだった。

 ところが、昨年の10月、LINEのメッセージが入らなくなったなぁと思ってはいたが、 病気で入院したりまた出てきたりという状況だと聞いていたので、しばらく入院が 長引いているのかなと思っていた。今年の正月に年賀状を出したが、びわ湖の小鮎 さんからは年賀状が来なかった。喪中か何かだろうか……。そして、1月中旬になって、 ご本人が昨年10月に亡くなっていたことを知ったのだった。あまりに呆気なく、 半年以上経ってからだったが、突然のことでしばらくはぼうっと視界が霞んでしまった。

 今年の春、昔のNIFTYの通信データを保存していたMOがいくつも出てきた。30年前の MOはパソコンとはSCSI(スカジー)という規格で接続していたのだが、今はもう使えない。 しかし、SCSIからUSBに変換するというケーブルがあって、私も偶然購入していたのが 見つかった。さっそくMOドライブを今使っているパソコンにつないでみると、ちゃんと 読めたのには少々驚いた。釣りフォーラムのたくさんのメッセージも保存されていた。 もっとも古いのは1990年5月のもの。32年前である。1990年の半年分のデータ(通信した ログファイルそのもの)は約50万行。そのなかからびわ湖の小鮎さんの発言をいくつか 取り出した。飛騨川や益田川の鮎釣りポイントの話、ブラックバスについての考察。 改行等は私が多少手を入れたが、ほぼ原文そのまま。懐かしいと感じる人もあるだろうし、 今とそれほど事情は変わっていないという気がする人もあるだろう。

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