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 「アンネの日記」にちなんだ薔薇。

 1959年、この薔薇の作出者ヒッポリテ・デルフォル(デルフォージ)(Hippolyte Delforge)が、「アンネの日記」を記したアンネ・フランクの父オットー・フランク(アムステルダムの隠れ家で逮捕された8人のうち戦後まで生き残ったのは彼のみ)と出会い、この薔薇を捧げることを申し出たという。1960年、「Souvenir d'Anne Frank(アンネの形見)」として品種登録された。

 この薔薇にはいくつかの呼び名がある。「アンネ・フランクの思い出」「アンネの思い出」「アンネのバラ」「スヴニール・ド・アンヌ・フランク」「スヴニール・ドゥ・アンネ・フランク」など。

 この薔薇は、莟から咲きはじめは赤みの強い色合いで、やがて、黄色みが強くなり、オレンジ色も混じるようになって、最後にはまた赤みが増す。明るい色で、バラ園では多くの株がまとめて植えられていることが多く、遠くからでも目立つ。