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 東京の荒川の堤に集められていた桜の中の1つ。

 陰陽道の泰山府君の祭りに因んだ名前だというが、詳細な由来は不明である。
 樹形は縦に細長く伸びるかたちで、横にはあまり広がらない。花弁は数十枚もあって、ふっくらと丸く咲く。
 世阿弥作とされる謠曲「泰山府君」では、桜町中納言がすぐに散ってしまう桜の花の命を儚んで嘆いたところ、 中国の神泰山府君がそれを聞き入れて花の寿命を延ばしたという。その話に因んだ名前だというが、桜町中納言は 桜が好きで、庭に多くの桜を植え、自ら桜町中納言を名告ったといわれている。寿命が短いことを嘆いた桜がこの 「泰山府君」であったのかどうかは定かではないとされる。
 泰山府君は、荒川堤に植えられていた1,900本あまりの桜の中にあったとされている。荒川堤は明治時代に改修が 行われた(1886(明治19)年完成)荒川の下流域の堤防で、ここには駒込の植木屋三代目高木孫右衛門が江戸時代の 大名屋敷などから収集していた桜を植えたという。この中にこの泰山府君があったので、おそらく江戸時代より栽培 されていた桜であろうというわけである。世阿弥の謠曲と荒川堤の桜との関連はわからないが、植木屋高木家が江戸 の大名屋敷から収集した桜の中にこの泰山府君があったとすれば、どこかの大名屋敷では謠曲との関連を意識して 大切に栽培していたのかもしれない。
 この桜は、品種としては、山桜と唐実桜(カラミザクラ)との交配種であるという。どちらの桜も一重なので、 泰山府君が八重であることから、私はやや疑問に感じる。
 ふつうの八重桜は花だけが枝いっぱいに咲くのだが、泰山府君は山桜のように、葉とともに開花する。ここには たしかに山桜の形質が顕れているといえる。山桜の中にも八重咲きの変種もあるので、山桜と一重の唐実桜との 交配で八重桜ができないというわけではないようだ。