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 ヒマラヤ地方の山麓に自生する冬咲きの桜。

 この桜は日本の桜のルーツのひとつではないかといわれている。ほとんどの桜は春に花が咲き、そのあとは葉が繁って、秋にはその葉が落ちて冬は裸木となる。しかし、このヒマラヤザクラは11月下旬から12月初旬にかけて開花する。開花とほぼ同時に葉が開き、花が終わったあとは緑の葉っぱが木を蔽って、そのまま冬を越すのである。

 花は一重で、5枚の花弁はややほっそりとしていて、ピンク色も淡い。雄蕊が長く伸びているので、花弁の隙間から雄蕊がよく見える。花はそれほど大きくはない。

 この桜は、ネパールの皇太子が日本に留学したときに母国よりその種子がもたらされた。発芽したものを熱海高校の傍の斜面地に植えたのが始まりだという。当初5本あったヒマラヤザクラだが、その後傷んで枯れてしまう木もあって、私が訪ねたときには3本しか残っていなかったように思う。花の色もやや薄いめなので遠くからではその存在に気がつく人はほとんどないようすで、私のほかには誰も訪ねてくる人はいなかった。12月の初めで、熱海桜や梅もまだ咲いていない時期で、私は娘の桜を見たあと熱川のバナナワニ園に熱帯睡蓮を見に行くつもりだった。

 ヒマラヤザクラは大気中の窒素酸化物を吸収する能力が染井吉野の6倍あるとかで、一時期盛んに導入されたらしい。しかし、真夏には高温多湿になり、また冬は冷夏にまで冷え込む日本の気候はこの桜には過酷だったのか、なかなか元気に生育しているところがないようである。和歌山県田辺市の新庄運動公園の傍にもこの桜が10本ほど植えられているのだが、ある程度まで育つと、そのあとはなかなかうまくいかないようだ。京都府立植物園にも植えられているが、最初に植えられた木はすでに枯れてしまったのか切り株だけが残っていて、今は次の代になっている。しかし、この木もあまり元気ではないようすで、花付きも悪い。日本の気候にはやはりすぐには馴染めなかったのだろう。かつて日本列島に渡来した桜は、よほど長い時間をかけて徐々に適応していったのではないだろうか。

 余談だが、この桜を日本にもたらした当時のビレンドラ皇太子は、その後ネパールの国王になったのだが、残念なことに、2001年6月に王宮にて殺害されてしまった。