その他の写真>その他>2022/07/21

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 近江の蓮……大賀蓮と近江妙蓮。

【大賀蓮】

 滋賀県野洲市の野洲市歴史民俗博物館の敷地に大賀蓮が植えられている。

 1998年にこの施設ができたとき、鳥取県農業試験場より大賀蓮を導入したという。 鳥取農試は、大賀蓮の発見者である大賀一郎博士がもっとも早い時期に大賀蓮を分根 したうちの1つで、1951年に発見されたもともとの大賀蓮にいちばん近い大賀蓮だと思われる。

 ちなみに、この写真の最後の2枚も大賀蓮であるが、みずの森のもの。今年はみずの森の 大賀蓮がなかなか咲かず、もうダメかなと思っていたのだが、7月中旬になってやっと開花した。 大賀蓮はかなり開花時期の早い蓮で、6月初旬にはもう咲きはじめることもある。7月中旬に なってからの開花はよほど遅かったということになるだろう。このみずの森の大賀蓮も鳥取農試からの導入だという。

【近江妙蓮】

 滋賀県守山市に、大日池という池があり、そこに奇妙な形の蓮が咲く という話は古くから伝わっていたようで、室町時代に幕府に献上された記録が 残っている。今は大日池の前に妙蓮会館という資料館ができていて、この珍しい 蓮について知ることができる。

 明治時代に一度花が咲くなくなってしまったのだが、大賀蓮の発見者大賀一郎 博士の調査指導によって、金沢市の持明院という寺からこの蓮を里帰り移植させて 復活させたのだという。

 持明院の妙蓮は、その昔守山の大日池から移植された記録があると大賀博士の 報告書には記載されている。 その妙蓮を本家の守山に里帰りさせたというわけである。しかし、持明院の入口 には妙蓮についての立て札があって、この蓮は中国伝来のものであると書かれて いる(いた。私が訪れたときにはそういう趣旨の説明が書かれていた)。 中国伝来の蓮か、守山から移植した蓮か……。持明院は、現在の場所にもとから あったのではなく、移転してきたらしい。妙蓮の由来が食い違っているのはその ためかもしれない。実際のところはもうわからなくなってしまったというのが 正しいのかもしれないが、私にはもやもやが残ったままである。

 蓮に関するこのような話は、いくつもあるようだ。真偽はどこまで追求して いっても不明のままになるだろうから今のままでよいではないか…… という考え方も現実的である。

 妙蓮(みょうれん)という蓮はふつうの蓮(常連=じょうれん)が突然変異した ものと考えられている。花弁が2,000~8,000枚にもなり、花托がないので、種子は できない。蓮根のみで増殖してきたのである。この花を見つけた人が手を尽くして ずっと世話をしてきたはずである。

 この蓮が美しいかどうかは見る人によってちがうのだろうが、私は好きなほうである。 ふつうの蓮は開花後4日目には散っていくが、妙蓮は数日間咲いている。花弁がすべて パッと開くということがなく、外側の大きな花弁が数枚~数十枚散っていくだけで、 ほとんどの花弁はそのままである。時期が来ると花はそのままの姿で枯れていく。 なんとも不思議な花である。

 なお、妙蓮はもともとは中国南部に自生していたようで、発祥の地はここであると 主張している町が3カ所あるという。玉泉寺という寺もその1つである。「玉泉寺妙蓮」 という名前で呼ばれている蓮があるが、これは武漢より日本に導入されたものだという 説もある。これらの妙蓮は、見た目は守山の近江妙蓮とほとんど変わらない。

 近江妙蓮は古来門外不出とされてきたらしい。しかし、妙蓮あるいは千弁蓮という名前で いろいろなところで見ることができる。守山の近江妙蓮が流出してしまったのか、 中国より導入した妙蓮・千弁蓮・多頭蓮が広まったのか……。

 妙蓮という蓮が、宋の時代に、交易で通っていた船によって日本にもたらされたもの ではないかというのが納得しやすい説であろう。 室町時代に中国よりもたらされた蓮であるとすると、その最初のころに守山の大日池に 植えられていたのだろうか。