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終わりに近づいた蓮の花。みずの森、野洲市銅鐸博物館、近江妙蓮会館。
蓮の花を見に3カ所まわった。みずの森は7月中の土日は朝7時に開園するので、最初に訪問。8時になっていたが、蓮の花にはちょうど見ごろの時間である。 そのあと、野洲市の銅鐸博物館へ。ここには弥生時代の住居が復元されており、その手前の池に大賀蓮が植えられている。大賀蓮は早咲きの蓮だが、ここでは7月になってから見ごろを迎えるようだ。個々の大賀蓮は、鳥取県農業試験場から導入されたものである、と案内表示板に書かれている。鳥取農試は大賀博士が存命中に各地に分根した中でもっとも早い時期の分根先である。大賀蓮と詠っていてもまちがっている場合がけっこうあるのだが、ここの大賀蓮は充分信頼できる。 最後は、守山市の近江妙蓮会館。ここの「近江妙蓮」は開花した蓮が昼前に閉じることはないので、午後になってからでもゆっくり観賞できる。 近江妙蓮の資料を展示する会館と2つの池がある。近江妙蓮は室町時代からここの大日池に咲いていたと伝わる蓮で、雄蕊がすべて花弁になってしまった、たいへん珍しい蓮である。その花弁の枚数は、2,000~5,000枚といわれている。会館には実際に花弁を並べた写真もある。写真の花では花弁が2,000枚以上はあるようだ。会館のスタッフの話によると、今年は非常に花の数が多いという。 近江妙蓮はふつうの蓮のようにパッと花が開かない。あまりにも花弁が多いので、いつまでたっても蕾のような状態がつづき、そのうちに外側の花弁がはらはらと散ってゆく。花が多少でも開いている状態のものを探しながら池の周りを歩くのだが、大きな葉っぱが元気に繁っているのでかなり手間取る。葉っぱの陰にひっそりと開いている花もたくさんあるので、角度によっては見えないこともある。 かつて、この近江妙蓮の花が咲かなくなってしまったことがあった。大賀蓮の発見者大賀一郎博士に再生を託して、再度花が咲くようになった。明治時代にここの蓮が石川県金沢市の持明院に移されていたことをつきとめた大賀博士は、持明院から妙蓮を取り寄せて植え直したのだった。ただし、金沢市の持明院では、この蓮は中国から伝来したものだと、門前の案内板に書かれている。 |